モンゴル人は、外からのお客さんに対して、最大限とも思えるもてなしをいつもしてくれる。 歓迎の儀式から始まって、宴会となる。 そこでは、お酒とたっぷりの羊料理(少し前まで生きていた羊を自分たちの手で解体し、調理したもの)、それに、モンゴルの民謡も次から次へと披露される。
私たちが毎年、訪れるようになったスチンビルグさん宅では、親戚一同が集まって歓迎してくれる。 さらには、ご近所の方々や村長さんも来て、総勢三十名(いやそれ以上)の大宴会となる。
アッチもこっちもだいたいが、いい気分となり、そして酔っ払って、その後は、熟睡となるが、ある年のこと。 ゲルの外から「宮秋さ~ん、星がいっぱい! きれいだぁ~」と叫ぶ声。
その声の大きさにびっくりして、外に飛び出したら、その方、酔って、大の字になって、天空を仰いでいるではないか。 まぁ、結局、酔っ払って、足がもつれて、ぶっ倒れただけなのだが、星空の美しさに感動して大声をあげたのだった。
ちなみに、その方、二十代の女性で、ご本人、そのような声をあげたことはすっかり忘れているようである。星空がきれいだったことは覚えているとか。
歓迎もよし、環境もよし、と、私たちにとって、満足の旅が、「夏の風 中国内モンゴルでの交流プログラム」なのだが、 当のモンゴル人にとって深刻な事態を迎えていることに、少しずつ気づくのは、交流の旅を始めた三、四回目の頃からだった。
本来のモンゴル人の生活は遊牧生活であり、気候と草原の状態を見ながら、羊とともに移動しながら、生活する。 そして、「冬の家」と「夏の家」があり、特に、夏の家は、完全に小さなゲル一戸の生活となる。
しかし、最近はそのような「遊牧」はほとんど行われなくなり、「放牧」に移行しつつあるというのである。 つまり、一定の広さの草原を指定され、そこで羊や牛などの放牧を行うようになったのだ。単なる時代の移り変わりの中で、こうなったのか? そもそも、こんな生活を彼らが望んだからなのだろうか?
私たちが行くのは、夏。七月だったり、八月だったりする。 その時期というのは、夏の家だから、先ほどもふれた、羊たちに囲まれてのゲル一戸の生活を体験できるはずだった。 二○○○年前後に実施した最初の頃はそうだった。それが年を追うごとにむつかしくなってきた。
ある年に、私たちが泊まったゲルの入り口のところには「休牧戸」というプレートがはってあった。
そして、そこはもともとは冬の家だから、ゲルのほかに、レンガ造りの家も横にある。 その家の中をのぞくと、家財道具や調理道具もあるが、その多くがホコリをかぶっていた。 逆にいうと、休牧戸という指定を受けても、彼らはそこに出入りしていたのである。
その年の交流は、定住政策を始めとしたもろもろの最近の時代の流れに対する彼らの思いを聞くこともできた旅となった。
(注)定住政策と生態移民
数年前から中国では、「環境保護と生活向上」のために、内陸部の、特に辺境の地に住む人びとの「移住政策」(生態移民)を大々的に行っている。 長江のダム建設と同様の、国家プロジェクトの一つである。モンゴル人には、ある一定の所に定住させ、そこを放牧地と指定する。
場合によっては、省をまたいでの移住を求める場合もある。休牧戸の「戸」とは「家」の意味で、全体の意味は、「放牧を休んでいる家」となる。