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交流を通じて、アジアのひとびとに寄り添い、そしてつながる①

ソーシャル・アクションを自らの使命にして


□さらに「寄りそい」、活動を続ける


 彼・彼女らのニーズに応えられるような力は少しずつだが、ついてきているように思うが、私たちの活動はまだまだ不十分だ。 だがしかし、それもあくまで彼・彼女らの訴えがあってのこと。 その訴えがあれば、少しは対応できるが、それがない限り、余計なお世話や誤ったお世話になるだろう。 だったら、その不十分さを乗り越える方向性は、私たち一人ひとりが専門職になることかというと、そうではないと考えている。


そもそも、私たちの団体は、外国籍市民を支援する団体ではないからだ。

私たちは、在留資格を失った人たちや、日本の医療や保険、さらには社会保障の知識が乏しく、 一方で過酷な労働に追い込まれ、健康と生活が犠牲になっている人たちを支援するといった目的で結成していないし、 それらの方を私たちは直接対象にしていない(※12)。

私たちが対象にしている方々は、日本をめざしてやってきた普通のアジア人、とりわけ若い人たちや留学生である。 そして私たち日本人である。 一見、何の問題もなく過ごしていても、時にトラブルに出会うし、そもそも問題を抱えていることがある。


 だから、私たちの団体に不十分さがあるとするならば、それは、こちらの姿勢か。 彼・彼女らにもっと寄り添うこと。彼・彼女らが安心して、自分たちの心情を吐露できるような関係をつくることにあるのではないか、と考えている。

そのような人たちと横の関係でつながり、つながりながら、共に歩もうということである。 本来、コミュニティが持っていた共同体意識の再構築を、まずは団体の内部だけかもしれないが、 コミュニティ的なものをつくりあげながら、その上で、彼らの役に立つことができるならば、という思いである。

いわば「交流」というツールを使っての「グループ・ワーク」を行ない、その結果としての「支援」を行なおうということである。

 それだけでなく、私たち自身の気づきにつながることをも期待している。 私たちの暮らしもそうだが、彼ら・彼女らへの偏った見方もあるだろう。 これまでの見方がどうなのか、ということを、彼らとの交流を通して気づくきっかけにもなればということである。 だから、彼らへのエンパワメントだけでなく、私たちのエンパワメントにつながることを期待しているとも言える。私たちの団体は刺激的でもあるということは、これを意味する。


 冒頭、生活の部分での接点ができるようになって、私たちの活動も変更を余儀なくされているとふれた。

これまでの昼だけの一定の時間だけの付き合いでは見えなかったものが見えてきているのは、 冒頭のAさんの例を見ればわかる。 彼ら・彼女らはそこまで原発の放射能を心配して生活しているということであった。このことに気づいて、 早速、入居者とともに、食事会を行った。

「地震が起きた時、どう思った」と、日本人参加者から質問が早速出た。 「怖かったよねぇ」という感想をつけくわえながら。宿舎では、入居者とともに、 月に一度のペースでイベント(食事会やセミナー、外出など)を行いながら、交流を深め、つながりを強めている。


また、団体の構成員同士だけでなく、地域にも接点を作り始めている。 この8月には、事務所のある地元の夏祭りに参加して、地元の方と一緒に神輿を担いだ。 「お兄ちゃんたち、若くていいね。来年も頼むよ」と地元の関係者に声をかけられた。 さらに、入居者とともに、富士山登山にも出かけた。


そんな中、入居者のKさんから「先生! ちょっと彼女のことで相談があるんです 。頭の中がそればっかり。どうしたらいいのか……」と深刻な相談を受けた 。私たちの交流団体としての活動は少しだけ変化し、成長したように思う。


※12 それらの方に対するソーシャルワーカーの技法としては、 ネットワーク、リンキング、ネゴシーエーションが使われており、 知識としては「法的枠組みと制度」である(鶴田光子 「多文化ソーシャルワークにおける知識・技法・価値・視点」 2007)。


連載「交流を通じて、アジアのひとびとに寄り添い、そしてつながる」