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交流を通じて、アジアのひとびとに寄り添い、そしてつながる①

ソーシャル・アクションを自らの使命にして


□「これってコミュニティですよね」


 

 アジアンロードの交流活動は、10年以上たって、当初の理事や会員だけの間でのものから広がり始め、 事業や活動を担うスタッフや会員は、総勢で40名近く、それに参加する者は、おそらく300名以上になっているように思う(数えたことがない)。


 

 語学講座の受講生と講師は、言葉を学ぶ・教える関係を越えて、講師の留学生と一緒に授業が終わって、食事に繰り出すことはよくあるが、 それだけではなく、郷帰りに一緒に連れて行ってもらったり、旅行に行ったりしているクラスも現れた。


その旅行のスタイルも普通とはちょっと違う。ほとんどが勤め人たちだから、日程がなかなか合わない。そこでどうしたか。 「中国・北京の〇〇ホテルのロビーに、〇月〇日の何時に集まろう、そして、その前後はそれぞれ自由」という企画を行っている。 また、田舎に帰って結婚式をあげる元留学生がいたが、それに受講生たちが参列させてもらったりもしている。 この方、中国国籍ではあるが、朝鮮族の方で、しかも朝鮮族の方が多い国境近い街の出身で、そこに (滞在する日本人はもちろん、旅行者もいないと思われる地に)わざわざ受講生数人が繰り出して、参加したのである。 さぞや地元で話題になっただろうなぁと想像する。


 料理教室では、単なる料理を教える・学ぶ関係での教室ではなく、 作ったものをみんなで食べながら、お国や地方のことについて報告がなされ、 それに質問するという形式で行われているものだがら、料理以外の知識、その本人の思いや実状なども理解していくことになる。


 いずれにしろ、それぞれの活動に参加する日本人と外国籍の人びととの距離がすごく近くなって、 まさに知り合いとして、友だちとしてお互いが実感できるようなものになってきた。
そんな中で、ある時、参加者の一人Bさんは、「仕事や地域、家族を越えてのつきあいとなっているけど、これって、一種のコミュニティですよね」 という感想をもらしたことがある。まさに、「コミュニティ的なもの」が生まれつつあると考えている。


 

 この「コミュニティ」は非常に刺激的である。
ある時、参加者の自己紹介の際に、立ちあがった30代の女性Cさんが「私の人生は、宮秋さんのせいで、大きく変わってしまいました」と、 いきなり問題発言をして、こちらが冷や汗をかいたことがあった。 もちろん、「宮秋さんのおかげで、私の日本での留学生活が始まりました」とお礼を込めての自己紹介もあるが、 いずれにしろ、それほど、彼・彼女たちの人生に影響が出るほど、アジアンロードの活動があるのか、と感慨にふけることがある。


 最も刺激的な活動の一つに、毎年行っている「夏の風」がある。
これは、中国の内モンゴルの草原に出かけ、ファームスティをして、牧民たちの暮らしを実感するスタディーツアーだが (旅の途中、牧民の子どもたちに奨学金を贈る活動も実施)、現地を離れる際、必ずといってよいほど、ツアーに参加した方々が落涙する姿を見る。 それほど私たちの日常では体験・体感できないことが多く、印象づけることが少なくないツアーだからだろう。
 「それじゃ、明日、何時に○○だね」と言って別れて、翌日、その時間になっても現地の方が現れないことがあった。 彼らが現れたのは、約束の2、3時間も後だった。怒るのを通り過ぎて、あきれるほどだが、よくよく観察すると彼らは時計を持っていない。 「これじゃ、時間が守れないのは当然だよね」と内心感心する。 そして、「時計がなくても生活できるんだ」とも。
また、ゲル(※4)に泊まり、放牧の手伝いをして、食事をして、寝泊まりして、2泊3日。帰る際に、個人的にお礼をしたくなって、 何かないかと探し、財布の中から500円硬貨を出して渡した方がいる。
「これをもらっても、役には立たないな」と、現地の方の反応。 「そうなんだよね」とのこちらの感想。代わりに、こちらにいただけるものは、ということで探して、 キルト製のゲルのごく一部をいただくことになった。


いずれにしろ、こちらの尺度と向こうのそれが、あまりにも違うことに気がつき、そして、その差があっても、現地の方は楽しく、幸せそうにしているのではないか。 日本での暮らしって、せかせかして、それでいて楽しくなくて、なんなんだ、と振り返る人が続出しているのである。
ツアーが終わり日本に戻ってしばらくして「仕事を辞めました」という連絡が後ほど来ることもある。
「なにもそこまで踏み切らなくとも……」と思いつつも、現地の人びとから学んだことの大きさがそうさせたと、 主催した側としては内心「目的達成!」という気持ちも時におこる。


 

 また、私たちの「コミュニティ」の中に、着実に「仲間意識」が芽生えつつある。
私費留学生の方は、成田空港に降り立った時に、すでに100万円近くの借金をかかえている場合が少なくないと言われている。 そんなお金をどうしたら返金できるのかを含めての、不安な中で、日本での生活が始まるのだ。 私自身、当初、そんな彼ら・彼女らのために、空港に迎えに行ったり、その後の生活で、アパートやアルバイトを一緒に探すことはたびたびだった。
電話のかけ方や面接の仕方をロールプレイで練習したこともある。


  こんな活動を続けながら、時がたち、その広がりとともに、私自身は、彼ら・彼女らへの対応について個人的なアプローチから組織的なアプローチに移しつつある。
具体的には、日本に来たばかりの留学生(特に私費留学生たち)がぶつかる課題(「お金がない」や「アルバイト探し」「アパート探し」)を、 最近は、「アジアンロードの仲間たち」に、なるべく提供するようにしている。 それに反応して動いてくれる人が出るのである。
たとえば、年度初め「学費を払いたいのだが、20万円ほど足りないんです」という訴えを聞いて、 そのことをEメールで流したら、すぐに何人かから「全額はムリだけど、いくらか協力しますよ」とレスがあり、本人に貸してあげて、数か月後に返金するということを何度か行っている (以前は、個人的に私が立て替え貸してあげていた。2、3度、これまで戻ってこないケースも)。


 私どもの団体の中に、コミュニティの中にある「共同体としての意識・仲間意識」が芽生え、 彼ら・彼女らの窮状に共感した行動であり、それは、「助けてあげる」といった、決して大げさな、 肩肘はったものではなく、「いま、それほど困っていないから、少し出しますよ」と、 軽いノリの「お互い様」意識で動き始めてくれているのではないかと考えている。


※4 ゲルとは、モンゴル人の伝統的な移動式住居のこと。 中国国内では「生態移民」といわれる放牧生活をやめさせるような政策がとられているので、最近では、ゲルを見かけることが少なくなった。


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